トルコ8日間の旅 番外編 3

今年120年の節目を迎えるエルトゥールル号事件の
後日談がある・・・と書きましたが、
この事件がいかにトルコの人々の記憶に深く刻まれているかを
知らしめた出来事があります。

それは・・・
イランイラク戦争の真っ只中、1985年3月のこと。
益々戦火が激しくなった3月17日。イラクのサダム・フセインは
次のような声明を発表した。
『3月19日午後8時をもって イラン上空を航行する飛行機は
全て撃墜する―』
それは、軍用機だけで無く民間機も含まれる事を意味していた。

すぐさま、イランに駐在する外国人は出国の準備を始め、
テヘランの空港に殺到した。現地で働く日本人駐在員とその家族も
多くいたが、自国の国民を優先に次々と搭乗させ出国して行く
外国の航空機。この時、日本の航空機はイランへの乗り入れを停止
していた為、日本人だけが取り残されてしまった・・・。

何とか日本人を脱出させるべく日本政府も思案するも、打つ手立てが
無いまま、時間だけが過ぎていった・・・。
自衛隊機やJAL機の派遣も検討されたが、イランイラク両国の安全
の保障が得られなければ飛ばせない・・・。イラクからの返答は
無く、タイムリミットは数時間後に迫っていた。
万策尽き、もはやこれまでか・・・と思われたその時、
爆撃の音が響き渡る中、2機のトルコ航空機がテヘランのメヘラバート空港
へと降り立った・・・。
そして、約300名の日本人全員を救出。
2機目がイランを後にしたのは、タイムリミットのわずか1時間程前だったという・・・。

トルコが危険を冒してまで2機の救援機を派遣し、日本人を救った
背景には、エルトゥールル号遭難事件の日本への恩返しという思いが
あったと言われています。

そしてもっと驚いたのは、この時まだ多くのトルコ人がイランに残されていた
にも関わらず、日本人の救出を優先させた事。そして、それに対しての非難が
起らなかったこと。多くのトルコ人がそうする事を当然と思っていた為だと言います。
(その他のトルコ人は陸路でイランを脱出したそうです)

また日本政府の正式な依頼があった訳ではないのに、トルコが特別機を派遣するに
至ったのには主に2つのルートがあったからだと言われています。

一つは、当時のトルコ在駐の伊藤忠商事の森永氏がトルコのオザル首相に直接依頼をした
と言われています。2人は『パジャマともだち』(パジャマで行きかう程の
親しい間柄)で、長年の信頼関係がありました。
もう一つは、イランに駐在する野村大使が、同じくイラン駐在のトルコのビルセル大使に
依頼したルート。2人は同じ日に着任して、『双子の兄弟』と言われる程の
仲でした。そしてビルセル大使が本国に救出を訴えました。
そんな深い信頼と友好の関係があったからこそ、トルコは命懸けで日本人の
救出に向かってくれたのです。

私達日本人は、あまりトルコの事に詳しくありません。
こういった友好の歴史を日本でも多くの人に知って貰えたら、
トルコの人達をもっと身近に感じられるのではないかな~と
思います。

トルコ8日間の旅・・・次回は、最終章です。


【おまけの動画】
NHKのプロジェクトXという番組で、
この事件を扱っていましたので、
動画を張り付けておきます。
興味のある方は見てみてください。↓クリック。
プロジェクトX 挑戦者たち「撃墜予告 テヘラン発 最終フライトに急げ」
プロジェクトX 挑戦者たち「撃墜予告 テヘラン発 最終フライトに急げ」[アメーバビジョン]
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by mielog | 2010-08-24 22:14 | トルコ旅行

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